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賛同者からのメッセージ 

メッセージは順次追加、更新されます。



古川日出男
 誰に向けてこのメッセージを発するかで、僕の言葉は変わってしまう。出身地である福島の人間に向けるのか、東北から北関東の被災地のほぼ全域の人々に向けるのか、それ以外の皆に語るのか。あの日のあの瞬間から、僕の脳はずっと言葉で埋まり、同時に、僕の脳はしばしば麻痺している。「するな」と自分に言う。金縛りにあうのはわかる、しかし、金縛りにあっている暇のようなものはないのだ。誰に向けてメッセージを、と問うのも無意味だと今わかった。直面しているそこここで、僕たちが、それぞれに繋がれ。大切なのはきっと、それぞれに、だ。

阿部和重
 被災者の皆様に心よりお見舞い申し上げるとともに、被災地の早期の復旧をお祈りいたします。また当然ながら、この「被災者」と「被災地」は、今般の震災のみにかぎられてはならないと思う。地震災害に限定されてもならないと思うし、本来はあらゆる災禍の被害者の無事を祈らなければならないのだとも思う。それが今のところ、今回だけこうして声をあげることになってしまった点を、恥ずかしくも思っている。しかしそれでもなお、被災者の皆様に心よりお見舞い申しあげるとともに、被災地の早期の復旧をお祈りいたします、と記したい。
※阿部和重氏の提供によるサイン入り著作の販売も近日開始します

円城塔
【雑感】
 無力を捏ねる生業であり、活かすという事業に疎い。無益とまでは思わなくとも、有益でなどあるはずがない。せめても不謹慎にいるべきものと思い定めて、精進の字のみが無様に浮かぶ。
 学生時代、宮城野をスクーターでよく走った。
 もろともに立たましものをみちのくの衣の関をよそに聞くかな。
 謹んで哀悼の意を表します。

福永信
 大人は全員0才児からやりなおすしかない。それしか方法はない。
 今を生きる小さな子らの養子になって、かれら、かのじょらから、日本語を習い、これからどのように、たくさんの人々が住む、この小さな国を作っていけばいいのか、たくさんの国々とともにある、この小さな国がすすんでいけばいいのか、学ぶしかない。
 今を生きる小さな子ら、こんな妄想しかできない大人を、バカだと思っても、どうか、われわれを見捨てないでほしい。

 そして、小さな子ら、ほんとうに、ごめんなさい。

芳川泰久
 自慢にもならないが、私は二度、死にかけた。一度目は、乗ったタクシーの居眠り運転で追突事故に巻き込まれ、二度目は、脳幹梗塞をわずらった。そしておそらく、この震災と原発事故で、私は三度目の死に遭遇したのだと思う。そこに共通しているのは、身体と切れた意識が勝手にあって、ふだんとはまったく別の生き物(死に物)のように動く体験だった。そしてたぶん、今度の震災でダメージを受けた方々と繋がりうるとすれば、この私のなかにある死の感触によってでしかない。

青木淳悟
 書き続けながら過ごした。自分のために書くのではない、と信じてやってきたはずなのに、残念ながらそうではないようだった。すがりつくものがなければ、うまく乗り切れたかどうか。
 「まだこの時は帰宅できて嬉しいと思うばかりだった。」――震災直後のエッセイをそんな一文で結んだ。
 生業を失う、土地を奪われるということの恐怖は想像に余りある。それが精一杯だとは寂しくも思いつつ、今はただかけがえのない日常に向かって書くことしかできません。心からお見舞い申し上げます。

松田青子
 世界中の乗り越えられない人たちが、少しでも生きやすい世界になればいい。
 立ち上がる気力と体力のない人たちが、無理に立ち上がらなくてもいい世界になればいい。
 そのとき余力がある人たちが、そのために感じ、考え、動ける世界になればいい。
 これからずっとそういう世界になればいい。

村田沙耶香
 小さいころよく遊んでもらった従兄弟が仙台に住んでおり、親が単身赴任していた福島には家族の思い出があり、また、とても大切な人が今も福島に住んでいます。
 そうした、私にとって大切な、穏やかな記憶と、テレビ画面の壮絶な「今」の光景が、頭の中でぐしゃぐしゃに混ざり合って、しばらく呆然としていました。

 いろいろなことを考えさせられ、まだ考え中でもあります。
 ずっと考え続けていくのだと思います。
 まずは自分の手足でできることを、継続してやっていきたいです。

牧田真有子
 信じがたい状況を報道で連日見聞きした。でも京都でかすかな揺れを感じたにすぎず、東北に殆ど縁のない私は、今回の災害を個人的に実感したとはいえない。
 被災地でのボランティア活動にわずかだが参加した。あまりにも広範囲のおびただしい瓦礫を目の当たりにしたら急に、ぐっと息苦しくなった。瓦礫の撤去作業を手伝った棚田には、写真や葉書、パジャマらしきズボンなどもあった。持ち主に思いを馳せる一方、自分が一生触るはずのなかったものに触っている戸惑いでまた現実感が薄れそうにもなった。焦点の定まらないこの感情を、手持ちの感情で象るのではなく、進行中のままあけておきたい。自分にできることがあれば気づける場所にしておきたい。被災された方々に心よりお見舞い申し上げます。

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